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神戸の中心地「三宮」。その名前の由来である三宮神社(神戸市中央区)境内には戦前、歌舞伎座があり、50店以上の商店が軒を連ねてにぎわっていた。境内の一部だった区域の商店主らが地元のルーツをひもとき、文化や流行の中心的な役割を果たした往時を取り戻そうと「歌舞伎」をシンボルに活性化に乗り出している。(長尾亮太)
三宮神社の北にある商業エリア「三宮センターサウス通(どおり)」。飲食店や雑貨店など65軒が集まる。阪神・淡路大震災で壊れた路地を舗装し直すために商店団体を結成し、三宮センター街の南に位置することにちなんで名付けた。
会長の三浦繁男さん(82)が歌舞伎を題材に活性化を提案したのは、震災から10年がたったころ。商店主らの気持ちにも余裕が生まれてきたからだ。
三浦さんは1963年に理容店を開き、先人から歌舞伎座で「片岡一門も上演した」と聞かされていた。神社に伝わる昭和初期の境内地図によると、歌舞伎座があったとされるのは現在の四国銀行神戸支店の東側にあるそば店の辺り。かつての境内は広く、歌舞伎座のほか、コーヒー店やバーなど50店以上が記されていた。
だが、地図以外の資料はなかなか見つからず、神戸市文書館で戦前の三宮神社や境内を収めた写真を見つけるまでに2年かかり、古地図と照らし合わせてようやく存在を確認した。昨年、同市が支援する商店街に選ばれ、活動を本格化させた。
今月12日朝にあった商店主らによる一斉清掃。店主らは歌舞伎の幕をイメージして新調したエプロン姿で登場し、黒、柿、もえぎ3色の縦じまが通行人らの目を引いた。月1回の清掃のほか、イベントなどでも着用する。
同通にあるネイルサロン「ホワイトネイル」は幕模様や隈(くま)取りのデザインを導入。喫茶店や洋菓子店も歌舞伎にちなんだメニューを検討している。
「どこが通りか分かりにくい」との買い物客らの声にも応え、2月にはエリア内の全ての電柱に、幕模様のカバー(高さ約2メートル)を巻き付ける計画だ。
三浦さんは「まちの歴史を見つめ直すことで、三宮センターサウス通の個性を磨きたい」と話している。
【三宮神社境内の歌舞伎座】 明治末期の神戸又新(ゆうしん)日報によると、前身の朝日座が1899年に火事で焼けた後、当時は珍しい木造3階建ての芝居小屋として新築された。1901年から不定期で歌舞伎が上演された。終戦直後の境内を収めた写真には建物が写っておらず、戦時中に焼失した可能性があるという。